形のない足跡

七辻雨鷹(ナナツジウタカ)。マイペースで子供っぽい人のまた別のお話。「ようこそ、カオスへ。」

ターミナル(小説)

 壁一面に本棚が並んだ小さな部屋でわたしは目を覚ました。
 ここはどこなのだろう。膝を抱えて辺りを見渡す。積み上げられた本にはギターが立てかけてあり、ところどころ雪崩が起きている。その間に、空になった薬のシートがいくつも転がっていた。
 わたしは今まで何をしていたのだろうか。ふと考えて気づく。思い出されるはずの記憶が無い。わたしは、わたしは誰なのだろう。考えてもわからない。
 まだぼんやりとした頭で膝立ちになり、わたしは本の雪崩の中から一冊のノートを拾った。深緑の無地のノートには「作詞ノート」と書いてある。思考を放棄したわたしは中身を読むことにした。
 散り散りの言葉がやっとつなぎ合わされたような詞ばかりだった。言いたいことを幾重もの比喩で隠したようなもどかしさを感じる。退屈したわたしはページをぱらぱらとめくり、最後のページに目をやった。

「頑張りなさい」「やればできる」
背中を押す声 ここは崖っぷち

上手く歩けなくて 世界が回って
膝を抱えていたら 遠心力に弾き出された
世界の中心には誰もいないくせに
こんな歌を歌ったら少しは笑えるかと思ったの
笑いごとになるかと思ったの

どうしたら良かったの
最初で最後のSOS 聞こえて
「自業自得だ」「過去にすがるな」
追い立てられて 一人は独りになる

走り出す人々を 見送るだけの今日が終わればいいのに

上手く歩けなくて 世界が回って
膝を抱えていたら 遠心力に弾き出された
世界の中心には誰もいられないから
こんな歌ももう終わり
世界の縁(ふち)の小さな出来事


 読むうちに目の前が滲んで文字が見えなくなり
そうになった。この人はまるで自分と同じだ。手を差し伸べられたらいいのに。
 脳裏で何かがほどけた。
 そうだ、これはわたしが書いたのだ。
 わたしは記憶の海に投げ出される。

 高校3年生。皆がそれぞれの道を選ぶ中で、わたしは取り残されていた。毎日をこなしていくのに精一杯で未来のことなど考えられない。日々を食べ尽くしていくうちにいつしか周りを追いかけるエネルギーは消えていた。動けなかった。
 わたしは必死で叫んだ、どうしたらいいと必死で。けれど、いつも返ってくる言葉は同じ。
「頑張りなさい。」「自業自得だ。」
 本当はそんな言葉で終わらせてほしくなった。終わったことにしてほしくなかった。先生や親の諦めたような視線が焼き付いている。
 もうどうにもならないのだと自室に籠り、大好きなギターを手にして曲を作ろうとした。けれど、気持ちに余裕がない状態で浮かぶメロディは無い。「もう全部忘れたい。」と、わたしは自分の感情を歌詞として書きなぐった後に病院で貰った薬を全て飲んだのだった。

 親も先生もわたしを助けてはくれなかった。けれど、最後に自分を見捨てたのは自分だった。

わたしはギターを掴んで、お気に入りのコードを鳴らした。整ったメロディではない。それでも歌う。初めて自分の感情を表現した歌を。
不思議と言葉はつかえない。ノートにある歌詞を歌い終えて、わたしはその後にこう付け加えた。


だけどどうせ終わるなら
ハッピーエンドじゃなくても
笑い事にできるような終わり方にしたいから

上手く歩けなくて 世界が回って
膝を抱えていたら 遠心力に弾き出された
世界の中心には誰もいないから
何処に居たって問題じゃないのかもね
自分だけは自分を見捨てないために
何もかも笑い事にしようよ


 わたしは薬のシートを拾い集めてゴミ箱に捨て、部屋の外に出た。いつかすべてが笑いごとになる日のために。

東京を知らない君へ

中学二年生の冬の社会科見学のレポート(形式は自由)として書いた小説です。

当時のわたしはチャットの語尾に☆をつけるような中学生でした。使われている記号が厨二っぽいのはそのためです。ご容赦くださいませ。

 

 

†前夜

紅茶を入れようと、ペンを置く。外を見やると外では雨雲がすごい勢いで流れていた。明日は晴れるだろう。晴れて欲しい。明日は社会科見学。早る気持ちを抑えられずに君への手紙を一日前倒しで書き始めた。遠く九州からこの東京へやって来て、大学病院の病室で本を友に過ごす、君。

 いつか退院したら遊びに行けるように、私は、東京を紹介しようと思う。

 

†出発

 社会科見学当日。よく晴れて社会科見学には絶好の日和であるのだが……私の足どりはあまり軽くない。

 なぜか。私はかばん症(川上弘美の『あるようなないような』による。普段からやたらかばんに物を入れる癖。)だからだ。筆記用具なら、シャープペンシルと消しゴムとボールペンと万年筆と定規と蛍光ペンとペーパーナイフと……といった調子でいろいろ入れてしまう。今日もしおりの持ち物以外にほっカイロとタオルとノートと手帳を持ってきている。しかし、それでもいつもより軽いから何か忘れ物をしている気がして不安になるのだ。

 それでも折角の社会科見学。忘れ物は無いと信じて楽しもう。

「いってきます。」

 しかし、最寄り駅の改札で私は気づく。

「あ。定期、忘れた。」

だってしおりに書いてなかった!

 

靖国神社遊就館

 何とかお土産代を削って学校に辿り着き、社会科見学は始まった。

 まわるポイントは三つ。そのうちの一つが神社・仏閣で靖国神社遊就館である。

 電車にしばらく揺られて、乗り換えもした。地図を見ながら九段下の駅から歩き続けると、建物と同じぐらいの高さがある鳥居に出くわした。建物を見る前に鳥居だけで気圧されてしまう。鳥居の赤が鮮やかに見えた。

 鳥居の大きさに負けないくらい本殿に手を合わせる。政治家の参拝で話題になる靖国神社。平和と靖国問題の解決を祈って後にした。

 遊就館の拝観料は300円と調べていたが、券を買おうとしていると、受付の人に声を掛けられて、券を貰った。渡された券には中高生・無料と書いてある。お礼を言って中に入った。(後で知ったことだが、受付の人は私たちを修学旅行生だと思ったらしい。遊就館では修学旅行生は無料になっているのだ。)

 遊就館靖国神社の敷地内にある戦争資料を扱う資料館だ。

焦げた様な跡がある日の丸、歪んだ戦闘機の破片、ボロボロの帽子。ふと目をやった特攻隊員の遺書。生きて帰れないと知りながら、案ずるな、と書いた手紙は大きくなった姿を見られなかった、幼い娘への思いが綴られていた。手紙を書いた人物を全く知らない私でさえ、読んでいて悲しくなる。読んだ家族はどんなに悲しかったろう。大きくなったわが子の姿さえ見られなかったこの人が命を捨ててまで守ろうとしたものは、一体……。考えたら終わらなくなりそうで頭を振った。

 感想を記すノートを見つけて鉛筆をとる。

「特攻隊員の遺書を読みました。どうしてこんなことが起きてしまったのか私たちは今、考え直す必要があると思います。

           東京・中2・女子」

 お土産が何かないかな、と見渡してみるが、ここでしか買えないものはあまりない。唯一限定と書いてあるのはふわふわという自衛隊缶詰パン。しかし食べ物は禁止。どうするか。「これ、かわいい!」

目についたのは紙せっけん。桜の模様のケースに入っている。全く遊就館とは関係ないがこれにしよう。

 思いつきで買ってしまった紙せっけんは私のかばんの中で眠っている。君はやはり呆れるだろうか。

  

靖国神社遊就館

靖国神社の敷地内に

ある戦争資料館。

多くの戦争資料が

展示されている。

 

年中無休 9:00~16:30

♪おすすめポイント

 資料が詳しい。戦闘機や汽車がみられる。

 

科学技術館

 遊就館を後にし、次に向かったのは科学技術館。見たり触ったり、体験しながら科学技術を楽しく学べる博物館だ。

 ここでは東京メトロのパスを見せると一〇〇円割引された。

 社会科見学は平日。しかもまだ午前中。たくさん楽しめる! はずだったんだが……。

見渡す限りの小学生と小学生と小学生と、時々中学生。考えることは皆同じ。どこも込み合っていてとてもじゃないが楽しく体験してはいられないだろう。

作戦を変更して私たちは先に昼食をとった。そして、ほっと一息入れてから、昼食中の小学生たちを確認して見学に出た。

実験、発電、シャボン玉に迷路。テーマパークのような入り組んだ建物の中を冒険した。

目の錯覚を学ぶ歪んだ部屋では吸い込まれそうになったりフラフラしたり壁が動いたり、驚かされた。

放射性廃棄物の最終廃棄シミュレーションゲームではつい熱が入った。ランキング上位でもスコアは八〇万点台。そこに九六万点で断トツの一位を叩き出してしまった。

一通り見学を終えて、お土産を買いに行く。

目についたのはいつか失敗して、リベンジを望んでいた結晶作りキットだった。白い結晶を作るキットを買った。しかし、作るのに必要な五〇〇ccの缶が見つからず、それは私の勉強机の引き出しの中でまだ眠っている。

出発間際にほかの班と会って、割引のことを教えてあげた。

「これ見せると一〇〇円も浮くよ!」

「了解! ありがと♪」

出口にある自販機で炭酸ジュースをみんなで買った。一人が「炭酸飲みたーい。」と言い出すとなぜか私も炭酸ジュースが飲みたくなって、飲み物は買わないつもりでいたのに買ってしまった。爽やかな刺激が歩き続けた疲れを弾き飛ばす。しかし、階段を駆け下りたら炭酸はぷしゅっと音を立ててかなり抜けてしまった。

  

科学技術館

 見たり触ったり楽しく体験しながら科学に親しめる博物館。子供から大人まで楽しめて家族連れにも人気。

 

水曜日と年末年始はお休み。 9:30~16:50

♪おすすめポイント

一日中楽しめる。

科学で遊べる

テーマパークの

ような博物館。

 

†NHKスタジオパーク

 最後は渋谷のスタジオパーク。地下鉄に乗ろうと思ってポケットを探る……切符が、ない。さっきはしゃいで落としたらしい。そこから交通費は自分で賄うことになった。

残額はわずか。定期は持っていない。つまり、一五〇円残しておかなければ、家に帰れなくなるということだ。

 社会科見学最大のピンチ到来。

 泣く泣く二、三枚しかない一〇〇円を使って切符を買った。

 しばらくまた電車に揺られ、気づけば渋谷の雑踏の中に佇んでいた。

「都会……。」

修学旅行生のように呟いて、空を見上げる。ビルが空を覆い隠さんばかりに伸びている。東京名物高層ビル群。君も見たら驚くんだろうなぁ。君のいる病院の周りはあまり高い建物がないから。

 地図を見て、建物を一個一個確認しながら進む。

人、人、人。いつかテレビで見たような、渋谷だった。

 スタジオパークはドラマの衣装が展示されていたり、映像資料のアーカイブスが見られたり、アフレコ体験ができたりする、体験型の放送テーマパークだ。

 アフレコ体験ではおじゃる丸になって歌った。実際に自分たちで吹き込んだアニメーションを見てみた。

「ほれ、おじゃっ!」

腕を振り上げるおじゃる丸が私の声で叫ぶ。思ったよりタイミングも合っていて、いつももとは違うバージョンのおじゃる丸を見ているようだった。

 「ダーウィンが来た!」のコーナーでは顔認証でどんな動物に似ているかを知ることができる。カモノハシに八〇パーセント似ているといわれた。嬉しくない。君はどう思う?

 ソチ五輪体験コーナーでは、カローリング(室内カーリング)とバーチャルでのスキージャンプを体験した。このカローリングというのが難しい! 行き過ぎてしまって狙った通りに行かない。お年寄りに人気のスポーツとだけあって、本当に力が要らないのだ。バーチャルでのスキージャンプはゴーグル型の端末に映像が映し出される。かなり迫力があって面白かった。

 お土産は、資金不足によりなし。

 

☯NHKスタジオパーク

ここにしかない放送体験@NHK

体験型放送テーマパーク

 

第三月曜日、三月一七日

・三一日は休み

10:00~18:00

おすすめポイント

すイエんサー!」

と叫んだり、

「ガッテンしていただけましたでしょか?」

「ガッテン!ガッテン!」が

できたり、一度はやってみたいことが

できる点。

 

†無事帰還

帰りは乗り越し精算をして、渋谷から一本。駅に着くと先生たちが待っていた。全員確認が取れると先生に名簿から顔を上げた。

「それでは、クイズです。」

まさかちゃんと学習してきたかを確認するのでは? 何を見てきたんだっけ……。ええっと……。

「明日は何の日でしょう?」

虚を突かれて、きょとんとしてしまう。明日は?ま、まさか、ばれんたいんでー?

「そうです。明日はチョコレートなど持って来ないように。」

先生、社会科見学のシメ、全然社会科見学と関係ないじゃないですか。なんだかもやもやすると君だってそう思わないかい?

メトロでの出会い

東京メトロ創立十周年記念ショートストーリーコンテストに応募した作品で、中学三年生のときの作品です。

 

 

 久しぶりに来た大手町の駅は乗り換えの人であふれている。私もその一人だ。

 「スカイツリーに行こう!」

みさきが私を誘ったのはつい昨日のことだった。計画性が無いのはいつものことだけど、それにしても突然だった。 混んでるらしいけど行けるの、といった私にみさきはもちろん下までだけど、とぃたずらっぽく笑った。8月から行く、留学のための準備で慌ただしい生活を送っている私を元気づけるつもりでいるのだろう。みさきなりの思いやりだと思う。

「Excuse me.」

階段へ向かって歩き出した私の後ろで声がした。振り返ると背の高い外国のおじさんが立っていた。ヨーロッパかなんかの人だろう。

「Could you tell me the way to the Tokyo Sky Tree?」

確かに私に向けて言っている。聞き取ることが出来たのは勉強の成果だ。でもしゃべることに関してはあまり自信が無い。誰か他の人に聞けばいいのに、と考えかけて私ははっとする。これから留学に行くのにこれくらいできなくてどうするんだ、私。これから先、東京オリンピックの時には外国人に道案内してあげるんだ、とか言ってたのに。

地下鉄一つ乗るのに、ここが外国だから困る人がいる。駅員さんに聞けば教えてくれるのに、この人は私を頼ってくれている。

大きく息を吸って、答える。

「Actually, I’ll go there too. Let’s go together.」

 それから、私はつたない英語を使っていろいろなことを話した。彼はエリックといった。エリックは自分の国のことをいっぱい話した。私は、みさきのことを話していた。年は離れていても、私たちは友達みたいだった。

 地下鉄一つで誰かと出会える。

「みさきー!」

みさきは駅で待っていて、エリックとはそこで別れた。

 これから、もっといいことがありそうだ。

「一つになれないならせめて二つだけでいよう」

SCHOOL OF LOCK!の企画で「一つになれないならせめて二つだけでいよう」をテーマにした作品を募集した際に応募した作品です。当時中学三年生だったと思います。

 

夕闇の中に光が一つ 取り残された教室

この世界に自分たちしかいないみたいで

何度でも踊って 何度でも笑って

時間なんてとっくに過ぎたと思っていたのに

 

呼びかけても届かなくて 遠くなると寂しくなる

すごく近く 手が触れたりして 距離が全然わからないよ

 

少しだけ前の話 二回くらい前の冬の話

冬はまた巡ってくるけど この季節はもう巡ってこないから

暖かい部屋と凍てつく外と 幻と現実 繰り返すみたいに

朝の張りつめた空気が 人の声で割れるみたいに

一人君を見ていた季節は過ぎ去った

 

はっきり言わないくせに 思わせぶりなことばかりするから

今でも君から目が離せないだけだよ それだけだよ

 

少しだけ今の話 少しだけ先の私の話

好きだなんて言えるほども 君のこと思ってないから

伝えても 届かないけど 今更ながらわかったことがあるから

ただ君とずっと話せたらいいって それなら友達でいいって

もうわかってるから 何も言わないでよ

噂は二つ 真実は一つ ただの片思いです

たとえ今 どんな噂が流れても

 

流れても

 

恋じゃないから 両想いとか片思いとか ないのかもしれないけど

君も同じように思っていることを願います

ターミナル(詩)

優等生はやめた
というより所詮は偽物だった
それなら人間をやめたい
なりたいものもないけれど

 

「頑張りなさい」「やればできる」
追い風に転んで 空を見る
迫り来る雨雲 青空は向こう側にしかないの?

 

上手く歩けなくて 世界が回って
膝を抱えていたら 遠心力に弾き出された
世界の中心には誰もいないくせに
こんな歌を歌ったら少しは笑えるかと思ったの
笑いごとになるかと思ったの

 

どうしたら良かったの
抱えていたものは全部がらくた
私を見つけて
最初で最後のSOS 聞こえて

 

「自業自得だ」「過去にすがるな」
追い立てられて 一人は独りになる
走り出す人々を 見送るだけの今日が終わればいいのに

上手く歩けなくて 世界が回って
膝を抱えていたら 遠心力に弾き出された
世界の中心には誰もいられないから
こんな歌ももう終わり
世界の縁(ふち)の小さな出来事

 

だけどどうせ終わるなら
ハッピーエンドじゃなくても
笑い事にできるような終わり方にしたいから

 

上手く歩けなくて 世界が回って
膝を抱えていたら 遠心力に弾き出された
世界の中心には誰もいないから
何処に居たって問題じゃないと思いたい
自分だけは自分を見捨てないために
何もかも笑い事になる日のために

幽霊からの手紙

拝啓
 暦の上ではとうに秋ですが残暑に陽炎が揺らめいています。いかがお過ごしでしょうか。はじめまして、私は幽霊です。名は河原健人といいます。普段はあなたのご近所の団地の一室に居りますが、そろそろ夏も終わりですので最後に涼しい手紙でもどうかと思い、こうして筆をとりました。
 ところで、あなたが美しいと思うものは何ですか。
 突然の質問でごめんなさい。でも僕は美大生だったのでこうゆう質問が好きなのです。
 僕が美しいと思うのは、ミロのヴィーナスや、昔の写真に映る人の若さです。空へ続く階段や向こう側のない扉など、建物の一部が残されてできるトマソンという芸術も好きです。つまり、僕が言いたいのは、失われたものは美しいということです。あったはずのものが今はない。というのは無限の可能性を秘めていて、綺麗だと思いませんか。
 僕はその綺麗なものになりたかったのです。だから僕はあの日、何の前触れもなしに団地のベランダから飛び降りたのです。
 けれど僕はこうして幽霊として残ってしまいました。失われたのは命だけ。僕は綺麗なものになれず、こうして成仏できずに彷徨うばかりです。でも、この手紙を書いたことでどうやら僕も成仏できそうです。僕はこの「綺麗なもの」の話をだれにもできなかったことが未練で幽霊になったようなので。読んでくれてありがとうございました。
 ああ、もう時間だ。
 まだ暑い日は続きますから、熱中症でうっかりこちら側に来ないようにご自愛ください。
 今度こそ綺麗なものになれるように、さようなら。

               敬具

線香花火からの手紙

拝啓
 残暑の厳しい日が続いていますが、お変わりありませんか。わたくしはあなたの家の近くで売られている線香花火です。このまま夏が終わってしまっては困ると思い、お手紙を差し上げました。
 というのも、わたくし売れ残ってしまえば、処分されるか、値引きされて雑多に積まれるかどちらかなのです。それはとても御免です。線香花火である以上、闇に火花を咲かせて散りたいではありませんか。
 人間の世界では、どれだけ長く線香花火の火の玉を落とさずにいられるかを競うようですね。長く、かつ華やかに、なんて、まるで人間の求める人生そのもののようにも思えます。しかし、線香花火界では少し違います。わたくしたちにとって大事なのは、いかに人間の期待を裏切るタイミングで火の玉を落として、あっと言わせることです。一生に一度、火がついた時が勝負で、鮮やかに人を驚かせることが粋なのです。だから、小さな火花ですぐに消えてしまう線香花火も決して劣っているわけではないのですよ。
 どうですか、あなたもそんな生き方をしてみませんか。一生に一度、火がついたときを逃さず、長く華やかでなくとも、人をあっと言わせるような生き方。悪くないと思いませんか。
 わたくしもそんな生き方をしたいのです。どうです、線香花火、一本買って行かれませんか。

                敬具

八.美冬と真雪-8732

 いつの間にか真雪は美冬を見ていた。そこにいる「美冬」は真雪ではなく美冬だった。真雪は宙に浮かぶ光の玉に姿を変えていた。
「あたしもう行かなきゃならないんだけど、一緒に行く? ちょっと早いけど。」
「いや、息上がっちゃって、ゆっくり歩きたいから先行って。」
美冬は咲季の誘いを断り、彼女を見送ると、真雪の方に向き直った。
「ありがとう。死者には運命を変えることはできないから、真雪が私を追い抜くときに一度だけチャンスをくださいと神様にお願いしたんだ。ヒントを一つだけ教えて、私と妹をほんの少しの間だけ入れ替えてくださいって。私はずっと、運命を変えることができずに、ありがとうを言えずに苦しかった。でも、それもこれで終わりだ。ありがとう、真雪。」
美冬の穏やかな口調に心が安らぐ。しかし、同時に真雪は気づいてしまった。
「元に戻ってしまったら、『美冬』の中身がお姉ちゃんになったら、運命が変えられないなら、お姉ちゃんは死んじゃうんじゃないの? もしかしたら、もうしばらくわたしのままなら死なずに済むんじゃないの?」
なだめるように、美冬は静かに首を振った。
「一番大事な世界のルールは変えてはいけないんだ。神様と約束をした。」
「でも……わたしは一緒に生きたい。お姉ちゃんの人生がこんなところで終わっていいはずない。あのトラックの運転手もこんな過去もわたしはまだ許せない。神様なんかどうだっていい。」
真雪は露わになる感情を止めなかった。今までそれを覆っていた諦めに近い気持ちは可能性の前に吹き飛んでいた。過去を乗り越えた振りをしてここまで来たが、本当はまだ受け入れきれていないのだ。不安な気持ちを必死に抑えながら真雪は美冬を見つめる。
「これは私の人生だよ。何度も何度も記憶を反芻して、そのたびに後悔をしたけれど、それ以上に幸せだったんだって気づいた。ここで終わったところでそれは変わらない。色んな人のおかげで生きるに値する人生だった。それを無理に延ばそうというのは、無意味だよ。」
無意味。言葉の無機質な響きが心に重く伝う。何も言えない真雪に美冬は続ける。
「私の分の人生を生きる必要なんてない。もういいよ、好きに生きなよ。だって、私と真雪は別の人間なのだから。」
 やっと長い夢から目が覚めた気がした。真雪はずっと姉を追いかけて生きてきた。姉は憧れの存在でいつも近くにいたから。姉がいなくなってからはその足跡を辿ってきた。存在したはずの、姉の未来をこれからも辿るつもりだった。そうすれば姉がまだ近くにいてくれるような気がしていた。そうすることが、姉の分まで生きるということだと思っていた。けれど、姉と自分とは違う。
「もう時間だ、行かなきゃ。今までありがとう。」
 美冬は止める間もなく横断歩道に駆けていった。その横断歩道には暴走したトラックが近づいていた。

                  *

 真雪が次に気がついたのは、講義室の椅子の上だった。時間を確認しようとポケットからスマートフォンを取り出す。青い無地のケースは紛れもなく自分のものだ。
16:01 9月7日 金曜日
眠ってから一時間ほどが経過していた。みんな部活の方の準備に行ったのだろう、教室にはあまり人がいない。真雪はまだぼんやりとした頭で記憶を探った。信じられないようなことばかりが記憶に残っている。もしかしたら全て夢だったのかもしれない。そんなことを考えながらスマートフォンのロックを解除する。
 ホーム画面の背景になっていたのは、家族旅行で行った北海道で撮った美冬と真雪のツーショット写真だった。ラベンダー畑を背に麦わら帽子を被った二人が笑顔で寄り添っている。それは、事故で失われたはずの、そして、美冬になった真雪が自分宛てにLINEで送った写真だ。胸の奥を掴まれるような苦しさはもうなかった。
 長い夢から覚めて、髪を解くと真雪は立ち上がった。

七.旅人算-8732

 家族には感謝を伝えることができた。残るは咲季だ。明日は先に行くと言っていたから、咲季は恐らく八時に登校する。家から学校までは四十分かかるから、七時十分には家を出よう――しかし、「美冬」が起きたのは七時だった。美冬は低血圧で朝が苦手だったのだ。真雪はそれをすっかり忘れていた。
急いで身支度を整えてリビングに降りる。バターロールを牛乳で流し込んでリュックサックを掴んだ。
「そんなに急ぐの? あと三十分あればお弁当作るのに。」
慌てて靴を履く「美冬」を見て母は困った顔をした。
「ごめん、購買パンで済ませるから。」
財布とスマートフォンがリュックサックに入っているのを確認すると「美冬」は外に飛び出した。
 
 駅に着いて電光掲示板を見上げると「遅延4分」という赤い文字が流れていた。急ぐ時に限って電車は遅れるものだ。心なしか、ホームにはいつもより人が多い。人混みに揉まれて予定より一本遅い電車に乗り、ドアに近い吊革に掴まる。扉が閉まるまでにさらに時間がかかった。
 咲季に追いつけるだろうか。 時間はもう残されていないのだからと、そこまで考えたところで真雪の思考は立ち止まる。もし、このまま死亡時刻を迎えたら自分と姉はどうなるのだろうか。今、自分がしているように、過去は変えられるのだとしたら、自分があの横断歩道を渡らなければ姉は死なずに済むのではないだろうか。しかし、過去を変えることは許されるのだろうか。真雪が今、していることは過去を変えることに他ならない
 ぐるぐると思考を巡らせているうちに、学校の最寄りまであと一駅のところに来ていた。車掌の申し訳なさそうなアナウンスが聞こえてきて真雪は我に返った。
「当駅で急行の通過待ちをいたしますが、後続の車両、車内トラブルにて十分ほど遅れております。発車まで、今しばらくお待ちください。」
 既に時間は七時五十分を回っていた。これでは間に合わない。スマートフォンを取り出し、学校の最寄り駅まで歩いてかかる時間を検索をすると徒歩七分と出た。真雪は電車を降り、定期をかざして改札を走り抜けた。出口表示と地図とを交互に睨んでして階段を駆け上がる。
 出た先は国道沿いだった。太陽を右手に北に走る。リュックサックが揺れて背中を叩き、排気ガスが呼吸を阻む。今朝起きられなかったことで、この体が姉のものであるということはよくわかっていたが、今はそんなことに構っていられない。乱暴でも走るしかない。地面を蹴り、風が過ぎ、少しでも速くと心が急く。いつもよりいくらか体が軽く、速く走れるのも姉の体だからだろうか。
 あの横断歩道の近くに咲季の姿が見えた。しかし、このままのペースでは追いつけそうにない。それどころか、信号に阻まれれば距離はさらに開いてしまう。
 「美冬」は肺に大きく息を吸い込んだ。排気ガスが体の中で暴れるのも気にせず、叫んだ。
「咲季!」
 咲季は驚いたように立ち止まって振り返った。
「美冬……?」
「美冬」は急いで駆け寄るが、完全に息が上がってしまっていた。肩で息をする「美冬」に咲季は怪訝そうに尋ねる。
「追いかけてきてまで、どうした。」
呼吸を何とか整え、唾を飲み、リュックサックから青い花柄の封筒を取り出す。昨日の夜に散々悩みながら書いたものだ。できるだけ美冬の言葉にしようとツイートをさかのぼって言葉を拾った。
「ごめん、伝えなくちゃいけないことがあった。後で読んで。」
咲季はきょとんとしていたが、すぐに優しい表情を見せ、大事そうに手紙を受け取った。真雪は咲季がこんな表情を見せるのを初めて見た。
「わかった。必ず読むね。」
咲季のその言葉を聞くと、真雪の意識はふわりと軽くなった。

六.薔薇の花束

 渋谷で乗客の大半が降り、真雪は空いた席に座った。ポケットからスマートフォンを取り出す。手帳型ケースのカード入れには図書カードが入っている。それを取り出すと、一緒に付箋紙が出てきた。青い字で「3331」と書かれている。真雪は迷わず、パスコード付きのメモを開いた。付箋紙を見ながら数字を入力する。
「3331」
ロックが解除され、目次が現れる。「学校のパソコン」「Dropbox」「メルカリ」……どうやらパスワードのメモらしい。「Twitter」という項目で真雪は指を止めた。姉がTwitterを使っていたとは知らなかった。姉がTwitterのことを話題にすることはなかった。それにこのスマートフォンにはTwitterのアプリが入っていない。
 真雪はインターネットからTwitterを開き、ログイン画面を出した。コピー&ペーストでユーザー名とパスワードを写す。パスワードは「132no2kki」――「秘密の日記」。ログインボタンを押すと、タイムラインが現れた。フォローしている人数はそれほど多くないらしい。プロフィールページに飛ぶと、アカウント名は「みふゆ@ひとりごと」と書かれていた。アカウントは非公開になっている。フォローしているアカウントは十五人、全て確認したが、アーティストのアカウントと、そのファンのアカウントが少しあるだけで、学校関係の知り合いはいないようだ。プロフィールには一言、「毎日を大切に生きる!」と書いてある。
 真雪は下にスクロールして数日前のツイートから読み始めた。

九月七日 20:10
 明日はもう月曜日か。文化祭前でただでさえ休みがないからやだなー。

九月八日 18:31
 今日も疲れた。甘いものでも食べて帰る。

九月九日 11:30
 今日も早弁だ。でも購買のプリンをゲットしたー!

九月九日 19:59
 微熱。ちょっと頑張りすぎたみたいだ。文化祭の準備をせずに帰ってきた。ベッドで音楽聞いてる時が一番落ち着くなあ。妹も勉強してるし、大人しく寝よう。

九月十日 21:47
 一日休んだ分、皆が代わりに仕事をやってくれていた。自分がいなきゃという気持ちだけで動いてきたけど、たまには思い出さなきゃだめだな。みんながいる。色んな人に支えられている。

九月十日 21:49
ありがとうって言うべき人に言えているかなあ。普段はとても言えない。周りの人みんなに伝えるのは難しいかもしれない。でも、家族と咲季には言いたい。いつかきっと。

真雪は画面を閉じて座席に寄りかかり、目を閉じた。そうしていないと涙が零れそうだった。瞼の裏の暗闇に安堵する。
「ありがとう」を伝えること。おそらくそれが美冬のやり残したことだ。
 美冬は素直になるのが苦手だった。喧嘩をしても、謝るのは大体いつも真雪の方だった。けれど、その分いつも沢山考えて、沢山迷って、沢山葛藤してから行動していた。なかなか寝付けずに何度も寝返りを打つ夜が沢山あったことも真雪はよく知っている。美冬は「いつかきっと」と思いながら感謝の伝え方を考えていたのだ。しかし、その「いつか」は来なかった。
 どうすれば美冬らしく感謝を伝えられるだろうか。

最寄り駅を降りると真雪は駅ビルに向かった。時間は八時半、まだ間に合うはずだ。
 花屋の店先の一角に薔薇の花が咲いていた。単色だけでなく、赤と黄色、ピンクと白が混じったのもある。上品な甘い香りがほんのりと漂っている。その堂々とした姿に心惹かれて、真雪はしばらく薔薇を見ていた。
「綺麗でしょう。贈り物にも素敵ですよ。」
振り返ると緑のエプロンを着た店員が立っていた。茶色の巻き髪が揺れて笑顔が零れている。少し考えてから真雪は言った。
「薔薇の花束で感謝を伝えることはできませんか。」

出来上がった花束はダークピンクの薔薇が八本、堂々と咲き誇っていた。
玄関の戸を開け、ただいま、と言うと、おかえり、遅かったね、と両親の声が返ってくる。荷物を二階の真冬の部屋に置いてリビングに降りる。胸元に抱えた花束は優しく包み込むような良い香りがした。食卓に花束を置くと、父も母も「真雪」も驚いてこちらを見た。
「どうしたの、それ?」
食器を洗う手を止めて母が聞いた。「美冬」は精一杯の笑顔で答える。
「いや、たまには感謝してもいいかなって。それだけ。」
急にどうしたの、と 困ったように笑って母は「美冬」を抱きしめた。柔らかなぬくもりが心の澱を溶かす。「美冬」は何も言わず、母の背中をさすった。父は棚を順番に開けて花瓶を探している。「真雪」は嬉しそうに花束を眺めている。
美冬は幸せだった。