ターミナル(小説)
壁一面に本棚が並んだ小さな部屋でわたしは目を覚ました。
ここはどこなのだろう。膝を抱えて辺りを見渡す。積み上げられた本にはギターが立てかけてあり、ところどころ雪崩が起きている。その間に、空になった薬のシートがいくつも転がっていた。
わたしは今まで何をしていたのだろうか。ふと考えて気づく。思い出されるはずの記憶が無い。わたしは、わたしは誰なのだろう。考えてもわからない。
まだぼんやりとした頭で膝立ちになり、わたしは本の雪崩の中から一冊のノートを拾った。深緑の無地のノートには「作詞ノート」と書いてある。思考を放棄したわたしは中身を読むことにした。
散り散りの言葉がやっとつなぎ合わされたような詞ばかりだった。言いたいことを幾重もの比喩で隠したようなもどかしさを感じる。退屈したわたしはページをぱらぱらとめくり、最後のページに目をやった。
「頑張りなさい」「やればできる」
背中を押す声 ここは崖っぷち
上手く歩けなくて 世界が回って
膝を抱えていたら 遠心力に弾き出された
世界の中心には誰もいないくせに
こんな歌を歌ったら少しは笑えるかと思ったの
笑いごとになるかと思ったの
どうしたら良かったの
最初で最後のSOS 聞こえて
「自業自得だ」「過去にすがるな」
追い立てられて 一人は独りになる
走り出す人々を 見送るだけの今日が終わればいいのに
上手く歩けなくて 世界が回って
膝を抱えていたら 遠心力に弾き出された
世界の中心には誰もいられないから
こんな歌ももう終わり
世界の縁(ふち)の小さな出来事
読むうちに目の前が滲んで文字が見えなくなり
そうになった。この人はまるで自分と同じだ。手を差し伸べられたらいいのに。
脳裏で何かがほどけた。
そうだ、これはわたしが書いたのだ。
わたしは記憶の海に投げ出される。
高校3年生。皆がそれぞれの道を選ぶ中で、わたしは取り残されていた。毎日をこなしていくのに精一杯で未来のことなど考えられない。日々を食べ尽くしていくうちにいつしか周りを追いかけるエネルギーは消えていた。動けなかった。
わたしは必死で叫んだ、どうしたらいいと必死で。けれど、いつも返ってくる言葉は同じ。
「頑張りなさい。」「自業自得だ。」
本当はそんな言葉で終わらせてほしくなった。終わったことにしてほしくなかった。先生や親の諦めたような視線が焼き付いている。
もうどうにもならないのだと自室に籠り、大好きなギターを手にして曲を作ろうとした。けれど、気持ちに余裕がない状態で浮かぶメロディは無い。「もう全部忘れたい。」と、わたしは自分の感情を歌詞として書きなぐった後に病院で貰った薬を全て飲んだのだった。
親も先生もわたしを助けてはくれなかった。けれど、最後に自分を見捨てたのは自分だった。
わたしはギターを掴んで、お気に入りのコードを鳴らした。整ったメロディではない。それでも歌う。初めて自分の感情を表現した歌を。
不思議と言葉はつかえない。ノートにある歌詞を歌い終えて、わたしはその後にこう付け加えた。
だけどどうせ終わるなら
ハッピーエンドじゃなくても
笑い事にできるような終わり方にしたいから
上手く歩けなくて 世界が回って
膝を抱えていたら 遠心力に弾き出された
世界の中心には誰もいないから
何処に居たって問題じゃないのかもね
自分だけは自分を見捨てないために
何もかも笑い事にしようよ
わたしは薬のシートを拾い集めてゴミ箱に捨て、部屋の外に出た。いつかすべてが笑いごとになる日のために。