形のない足跡

七辻雨鷹(ナナツジウタカ)。マイペースで子供っぽい人のまた別のお話。「ようこそ、カオスへ。」

ウォーキングドリンカー

 キッチンドリンカーになったのはいつからだったか。祖母はキッチンドリンカーだった。台所で夕食を作りながら、風呂上がりの火照った頬の内側にアサヒスーパードライを流し込んでいた。いつからか、私も台所に立って、ジンジャーエールの缶を持っていた。

 缶チューハイを飲みながら道端を歩く人を目にするようになったのは、帰りが遅くなった中学生くらいだったろうか。最近はストロングゼロを飲む人が増えた気がする。

 買い物の帰り道、すっかり日の暮れた国道沿いを安い缶のジンジャーエールの片手に歩きながらそんなことを考える。


 中学生の頃、ほんの5年ほど前は、自分の存在の脆さに揺れていることにさえ目を逸らしていた。自分のような、壊れそうな優等生より、歩きながら飲んでいるような大人の方が強いと思った。


 5年間で、色々なことがあり、この半年ほどで大きく舵を切って、生活も、人生の方向性も大きく変わった。大学には進学せず、今は一人暮らしをしている。

 手提げ袋の重さにふらつきながら、街灯と街灯の間を確かに歩く。ジンジャーエールの缶をぐいと持ち上げると、液体が喉の奥で跳ね返って炭酸が弾けた。嘆息にも似た吐息に、甘味料の風味が残る。生きていく上で不必要な限界をいくつも抱えて、それでも、また明日からもやっていこう、と自分を慰めて歩いている。

 缶の中身がアルコールでなくても、成人していなくても、私は確かに、お前の憧れた大人になっているよ。


 私はふとゴミ捨て場の掲示を目にして、ああ、資源ごみの日は今日だったな、とあと1週間部屋に残されるジンジャーエールの缶のことを思った。