形のない足跡

七辻雨鷹(ナナツジウタカ)。マイペースで子供っぽい人のまた別のお話。「ようこそ、カオスへ。」

Business

最近(3月)の作品です。手直ししたけどあまり納得いかず……。OLにならないと書けないのかもしれないですね。何とか良くしたいのでアドバイスをお願いします!



 夜の街は原色のネオンサインが溢れ、影はその色を一層深くしていた。日付が変わるまでにそれほど時間はない。既に人通りは減り始めている。
 わたしはとうに人気のない会社を出て、バス停へ向かった。街灯が路面に白い光を叩きつけていた。辺りには自分の足音だけが響く。国道の向かい側のバス停へ行こうと信号を待ちをしていたときバスが目の前を通り過ぎた。時計に目をやる。11:23。たった今逃したのが、駅への最終バスだったらしい。駅まで歩けば30分はかかる。今から急げば乗り換えの駅までは行けるかもしれないが、乗り換え先の路線の終電に間に合うかどうかはわからない。途方に暮れて一人、ぼんやりと向かいの歩道の植え込みを見つめる。
 無茶な仕事のせいでこんな時間になってしまった。次から次へと仕事が舞い込み、息をつく間もない。ようやくほっとするのは仕事が終わった後で、疲れ果てて何もできない。
上司が来たのは、昼過ぎに指示された資料を定時を過ぎてからやっと作り終えたころだった。
「指示したものと違う。」
上司がそう言って指したパソコンのモニターにはつい先ほどできあがったばかりのグラフがあった。
「データが古い。これで作り直すように。」
渡された紙の束には数字が延々と連なっていた。明日の朝までに、とだけいって彼は帰った。デジタルデータで渡してくれないのもいつものことだ。何も考えず、考えないように数字を打ち込む。
 嫌がらせにはとうに慣れたつもりでいる。必要とされていないことなど、嫌われていることなどとうの昔に気づいている。下らない揚げ足取り、一人だけ呼ばれない飲み会、お局さんからの悪口。全部、全部日常だ。既視感さえ覚える毎日に非日常への出口などない。
 気づけば駅とも会社とも違う方へ歩きだしていた。あてもなくネオンサインから遠ざかっていく。時計を見ると日付が変わっていた。出勤までの時間を考えると家に帰っても休めそうにない。
 生きるために働くのか、働くために生きるのか。
 いつか見かけたそんな言葉が脳裏をよぎる。働けば生きている。生きていれば働く。何のために?
 そのまま知らない団地の階段を上る。
 誰に嫌われても、誰にも必要とされなくても生きていくつもりだった。都会に出るときに心に決めたはずだった。でも、いつからだろう、自分で自分が嫌いになった。お金も仕事も生活も、もう全部欲しくない。自分には何もない。要らなくなった。
 生きる価値って、何だっけ。
 階段の途中の鍵のついた金属の柵を乗り越える。鞄は何処か途中で宙に放った。
 街を見下ろす。暗闇はあくまで暗い。夜の底は深く遠い。追い風が短い髪を揺らした。鼓動が速い。

「ご機嫌如何ですか。」
 後ろから低い、男の声がした。
 振り返ろうとしてよろめく。踏み外した途端に得体の知れない恐怖が意識の表層に浮かび上がった。空間が粘度を持ち、視界がゆっくりと歪む。
 それから、わたしの視界の端を黒いものがよぎった。落下していく感覚が消え、恐る恐る目を開けると、夜の闇と同じ色のスーツを着た男が自分を抱えている。男の足下には何もなかった。彼は浮いていたのだ。
「貴方は大事なお客さまだ。死なれては困るのです。」
宙を蹴るとそこに反発する力が働くかのように、男は空中を移動した。それから、わたしを屋上に降ろした。力なく座り込んだわたしに男は続ける。
「貴方は誰かに必要とされたかったのではありませんか?」
頭がぼんやりする。わからない。
「私は最近ビジネスを始めたのですよ。一つ、取引をしませんか。」
「取引……?」
「ええ、私はあなたに『生きる価値』を差し上げます。そのかわり、貴方のものを一つだけ貰います。それとも、死ぬのが怖いという理由だけでいつもの毎日に戻りますか?」
男は私を見下ろしたままさらさらと喋る。聞いていてもさっぱり何のことか分からないが、今更失くすものもない。差し出された契約書に拇印を押して、わたしは男と取引をした。
「では、わたしの指示に従ってください。国道沿いを三十分歩けば大通りに出ます。タクシーを見つけて何が何でも家に帰ってください。」
 この人は何を言っているのだろう、と思った。帰ったところで休む暇などないのに。でも、もう全部どうでもいいのだから、言うとおりにしてみるのもありかもしれない。わたしは鞄を拾い、男の言葉に従って家路を急ぐ。わたしの不法侵入に気付く人はいなかった。通りでもすぐにタクシーが見つかった。
 タクシーから降りて歩いていると、いつの間にか痩せた子猫が後をついてくる。何となく気になって放っておけず、家に連れて帰ることにした。里親が見つかる間だけのつもりで。
 翌日、会社をクビになった私は現在就職活動をしている。猫の引き取り手は見つからない。それどころか猫は懐いて離れない。わたしは自分が要らないけれど、猫にとっては要るらしい。就活は上手くは行かないがせめて猫の餌代くらいは稼がなければ。

彼女が去った屋上で、男は携帯電話を取り出した。
「もしもし。わたしだ。君に仕事が見つかった。明後日****株式会社に行って話をするといい。事務職にありつけるはずだ。・・・・・・ああ、そうだ。対価としてこれから五年間、給与の五パーセントを毎月送金してくれ。不労所得っていうのも悪くないからな。」





生きる価値って何でしょうね? 誰かに必要とされるのは必要なことでしょうか。在っても良いし、無くても良いかな。ぼんやりとそんなことを考えながら書いておりました。少し重くなりすぎた気がします。